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非ホジキンリンパ腫

非ホジキンリンパ腫 60代女性

病歴

1999年の暮れ、頸、脇の下、股などが腫れ、40度近い高熱が出た。翌年]月、検査の結果、非ホジキン腫と診断。ステージは(5段階の)真ん中。抗ガン剤投与による高熱のため肝移植を断念し一時退院。3月に再度入院し肝移植、10月19日に退院。2000年7月に再発。再び肝移植の予定だったが、諸般の事情で断念し、抗ガン剤治療。暮れに退院。入院中からアガリクスを倍量飲み始める。2002年2月ガンの影が消え、白血球も正常化。

体験レポート がん闘病が夫婦の絆を固く結び合わせた

「先生、腫とガンはちがうんですよね」

病名はリンパ腫非ホジキン腫。どんな病気かわからなかった。ただ、「治療は抗ガン剤投与で行う」という言葉にいやな予感がした。奥さんの洋子さんは、本をたくさん読んでから、医師に聞きに行った。「先生、腫とガンは違うんですよね」。違うという言葉を期待していたが、医師は「状況は5段階の真ん中。3年生存したら少し安心、5年生き延びたら安心」と応えた。
一方田代さんは、周囲は皆血液のガンの患者ばかりの中で否応なく情報が入ってくる。リンパ節のガンだということがわかってきた。「クヨクヨしてもしようがない。ガンなんて自分と関係ない」と思うようにした。
しかし、抗ガン剤の副作用はすさまじかった。吐き気や食欲不振、高熱が下がらず、体力が急激に低下していった。体重も20キロ近く減った。
さらに肝移植後は抗ガン剤の副作用をさらに激烈にした症状との闘いだ。「もうだめかも」と何回も思った。

互いに互いを気遣いあう

洋子さんは、苦しんでいる夫に何もしてやれない無力感にさいなまれた。せめて明るい顔を見せようと、「(髪の毛がないので)まるで火星ちゃんみたい」と笑わせ、帰宅してから泣いた。「このままでは病気に殺される」。洋子さんはアガリクスを探してきた。田代さんぽ「そんなもので治るなら病院はいらない」と思ったが、過労状態の洋子さんに飲ませるため購入した。
こんな精神的葛藤の中で互いの大切さに気がついた。田代さんは「ぼくに何かあったら洋子はどうするのだろう」と思う。洋子さんは、夫が一度として大きな声を出したことがなく、妻にも「ありがとう」と言う優しい人であることを思い知った。
再発後、田代さんはアガリクスを倍量飲み始め、ガンの影が消えた。ガン闘病は人生観を変え、夫婦の絆を強めた。洋子さんは今「この人さえ生きていてくれれば」と思っている。田代さんは「モノより夫婦二人、健康で幸福な人生をおくりたい」と願っている。

その時家族は

田代さんの穏やかで優しい語り口と、控えめに、しかし夫の話の正確さを期するためのフォローをする洋子さん、互いを大事に思っておられることが伝わってきた。ガンになって3年経ったが、まだ安心はできない。しかし「5年後は60歳を越します。ガンではない他の病気になる可能性もあります。ガンをこわがっていてもしかたがないですよ」との田代さんの言葉が心強い。

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大腸癌2

大腸癌 80代女性

病歴
平成11年7月頃、汚い血の色をした水溶便がでて受診。大揚炎と診断。注射と点滴を受けて11月に退院。1年後の12年7月に大腸のポリ一プを3個とる。このとき内視鏡で腸の一部が灰色になっているのを見た。医師に「大腸をとって人工肛門をつけましょう」といわれるが、3ヵ月間猶予期間をもらい、12月よりアガリクスを飲む。約半年後に消失。

体験レポート
「よっしゃ」とアガリクスを買ってくれた夫に感謝

兄2入、弟、婦も、甥も姪もみながん

平成11年11月。汚い血の色をした水様便が出たときがんを疑った。兄弟の大半ががんにかかって亡くなっている。しかしこのときはがんと診断されず、その後2回のポリープ切除を受けた。2回目に、主治医が「大腸をとって人工肛門をつけましょう。三谷さんなら大丈夫です」と言った。がんという言葉は使わなかったが、周囲に大腸がんで人工肛門を造設した人がいたので、すぐにわかった。「3カ月待ってもらえませんか。アガリクスを飲んでみます」と三谷チヨコさんは答えた。医師は「アガリクスは肝臓がんには効きますけどね…」といい、3カ月の猶予をくれた。

「なんてきれいな腸」

自宅に戻って、夫に「おとうさん、アガリクスを飲みたい。高いけどいい?」と了解を求めたら、「よっしゃ」と即答。その上、すぐにアガリクスの連絡先をメモしたものをわたしてくれた。がん家系のチヨコさんのことを心配し、用意してあったのだ。
3カ月後の検査のとき、内視鏡を診ていた看護師が「まあ、三谷さんの腸きれい」と叫び声をあげた。腫瘍はなくなっていた。朝起きてすぐと寝る寸前にコップ一杯の冷たい水で飲んだのがよかったと信じている。効果的な飲み方を教えてくれた担当者に、そして快くアガリクスを買ってくれた夫に感謝している。

その時家族は

夫の之春さん(81歳)は気が小さくて、病院についていくのもいやがった。しかし、がん家系の妻の体を心配して、テレビで知ったアガリクスの連絡先を前もってメモしてあった。高価なアガリクスを、「(お前がよくなるなら)よっしゃ」と胸をたたいてくれた夫の気持ちが嬉しい。

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大腸癌1

大腸癌 60代男性

病歴

2002年に入り、月に2~3回便器に鮮血を見るようになり、痔を疑って肛門科を受診。何でもないとの結果。6月の半ばに内科で精密検査を受けたところ大腸ガンの皿期と診断。8月に手術。幸いリンパ節転移がなく抗ガン剤投与の必要なし。術後約半年間再発・転移なし。アガリクスは入院と同時に愛飲。

体験レポート
アガリクスに助けてもらった命を、これからゆっくり楽しみたい

2002年になってから月に1~2回は便器が鮮血で染まるようになった。しかし大腸ガンの検査では2年続けて問題がなかったので、肛門科で見てもらった。「異常なし」と言われ、狐につままれたような思いで、内科を受診。「ガンですね」。診察後に得意先との会食があったが、何を食べたかも覚えていない。
内科で1カ月ほど検査が続き、「ステージⅢ、九分九厘リンパ節に転移しているだろう」といわれた。横田さんは「人工肛門になって、転移もして、一体これからどうなるんだろう」と不安でならなかった。アガリクスは入院してすぐに、健康食品に詳しい兄が持ってきてくれ、飲み始めた。

アガリクスを飲んでいたので転移なし

ところが、手術をしてみたら、腫瘍は5㎝もの大きさに育っていたが、肛門から9cmと離れたところにあり、肛門切除しなくてすんだ。しかもリンパ節転移がなかった。開腹後にステージはⅢからⅡに下がった。医師は「腫瘍が5cmもあるのにリンパ節転移がないのはおかしい」と首をかしげていた。当時大腸ガンで入院していた他の6人の患者は、腫瘍は横田さんより小さかったが、みなリンパ節に転移していた。「手術までの1ヵ月間アガリクスを飲んでいたので、転移巣が消失したのかも」という。
一時は死を覚悟して、横田さんは人生観が変わった。人をかきわけおしのける人生はもういい。[これからはゆっくり生きていく」と語る。

その時家族は

大腸ガンと告知されたときは59歳。会社役員として脂ののったときで、休むには理由が必要だった。ガンと告げたため、養生できるようにとの配慮で激職の本社役員から子会社の社長に。「これからはゆっくり暮らせる」と喜んだ妻だったが、退院1年後元の職場に復帰させられ、がっかりした。しかし本人も「これからはゆっくりと生活を楽しむつもり」とのことだ。

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盲腸

盲腸 70代女性

病歴

2000年、突然の腹痛で内科を受診したところ、胃ガンと宣告された。その間、何の手当ても受けられず、痛みをがまんできずに外科を受診したところ盲腸と診断。手術してみると手遅れ寸前で二倍にも腫れあがっていた。誤診の原因は盲腸が通常より上の位置にあったためとされた。3年ほど前から骨粗しょう症が出て日常生活はかなり困難だが、家事全般を一人でこなしながら生活している。

体験レポート
アガリクスは、「元気で暮らせよ」との夫の遺言

誤診が授けたアガリクス

子供の頃から虚弱体質だったが、結婚後は病気ひとつせず過ごしてきた。しかし2年前、突然腹痛に襲われた。近所の医師は「盲腸でしょう、様子をみましょう」と何の処置もしない。激痛に耐えかねて、翌日大学病院の内科を受診。結果はガン。しかし検査ばかりが続き痛みの処置をしてくれない。業を煮やして外科を受診すると、「ガンではなく盲腸ですね」と即手術となった。
危機は去ったが、ガンといわれて絶望した思いが残った。糖尿病と高血圧を患っていたこともあって健康に関する本をよく読んでいた夫の直樹さんは、アガリクスについて知識があった。「お前は本来体が弱い。もしガンになったら、抗ガン剤でまいってしまう。今から飲んでおけ」とアガリクスをプレゼントしてくれた。

夫の形見のアガリクスで元気に生きよう

盲腸の手術から3カ月後、夫は突然の病いでこの世を去った。ただ呆然と座り続ける中で思い出すのは優しかった夫との日々。痛みが激しくて歩けない百合子さんを車椅子で病院まで連れていってくれたこと、痛みに対して何ら手をうたない内科に見切りをつけて外科を受診させた決断の速さ…そしてアガリクスを贈ってくれた日のことが蘇ってきた。「こんな高いものを!」という百合子さんに、「高くても、お前がずっと元気でいてくれたほうがいい」、そう言って照れくさそうに笑った直樹さんが浮かんできた。「アガリクスは、周囲に迷惑をかけないよう、ずっと元気でいなさいという、主人の遺言のような気がします」と語る百合子さんは、骨粗しょう症で不自由な体を叱咤し、元気で生活している。

その時家族は

夫の直樹さんは、百合子さんの病気の3カ月後に大出血で病院に運ばれた。急性の十二指腸潰瘍と診断され、内視鏡による止血手当がすぐ行われ成功したと思われた。翌日は元気そうだったが、3日目の朝百合子さんが見舞った時は手足が冷たく、血圧が下がり意識もうすれていた。すぐ手当をしたが夕方死亡。病院から余病が起きた可能性が高いので解剖させて下さいといわれたが、直樹さんの生前の意志を尊重してことわった。

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膀胱がん2

膀胱がん 70代女性

体験レポート
腎臓がん手術の次に膀胱がんを治療。アガリクスで免疫力を上げる

数年前の暮れ、左の脇腹に突然いやな痛みがおそってきました。激痛ではありませんが今まで経験したとのない鈍痛でした。
翌月、年明け早々にすぐに検査入院、CTやMRIを撮って詳しく調べてもらった結果、左の腎臓にがんが発見されました。「上皮がん」というあまりたちの悪いがんではなかったのが不幸中の幸いでした。左の腎臓を切除する手術を行ったのですが、そのとき膀胱の一部も汚染されており、薬で治療することにしまし
た。2月に入って、外来での治療を続けましたが、なかなか改善しませんでした。とうとう7月には再度入院して抗がん剤での治療を行ったのですが、それはそれはつらいものでした。幸いそのつらい思いが届いたのか膀胱のがんは消えました。
退院後、自分でも免疫力を上げていかなくてはと、思っていた矢先、家族に再発防止のためとすすめられたのが自然露地栽培アガリクスでした。飲み始めたのは確か10月頃だったでしょうか、そして、11月に退院後初めての検査を行ったのですが、結果は[異常なし]でした。そのときのうれしさといったら、言葉ではとても言いつくせません。
自然露地栽培アガリクスを飲み始めてから食欲もでて以前より体重が増えたほどです。以来、検査を受けるたびに「異常なし」というお墨付きをもらっています。これからも家族の励ましと自薦露地栽培アガリクスを支えに、体に気をつけて生活していこうと思っています。

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膀胱がん1

膀胱がん 80代男性

病歴

2001年2月に血尿が出てかかりつけ医を受診。膀胱ガンの初期と診断された。即入院し、翌日内視鏡手術を行った。同年IO月より、再発防止と健康維持のためにアガリクスを飲み始める。抗ガン剤もその他の薬もいっさい飲んでいないが、現在に至るまで再発もなく、むしろ以前より元気に過ごしている。

体験レポート
ガンは厄落し!アガリクスで安心

「下半身のガンはたいしたことはない」

朝起きてトイレに行ったら、シャーと音たてて血尿がほとばしった。病気らしい病気もせずに過ごしてきたが、体の中で何かが起こっていることは予想がついた。幸い、かかりつけ医は検査機能を持つ大きな病院だ。即日受診し、すぐに結果が出た。「膀胱ガンです。だけど初期なので心配いりません」との医師の言葉に、ホッとした。多田さんは、下半身にある膀胱などガンに侵されてもたいしたことはないと思っていたからだ。「ああよかった。胃腸や肺など内臓ではなくて」と思ったのだという。勝手な思い込みではあったが、落ち込まなくてすんだというよい結果をもたらした。心配する妻など家族にも「何の問題もない」と言い、翌日入院。すぐに手術し、2週間で退院した。退院後は再発防止にアガリクスを飲み始め、むしろガンになる前より元気に過ごしている。

忘れたふりをしてきた疲れがガンを生んだ

退院後、なぜガンになったのかを考えた。
戦後すぐ、たった一坪の土地から始めた商売は大きく成長し、昨年の始め、息子に実質的に譲った。おそらく、長い間張り詰めていた糸が切れたんだろうと気がついた。人が寝ている時も働いている間に、商売を始めて4日後に生まれた長男を初め5人の子どもを授かったが、無事生まれたのは二人。しかも二人のうち、長女は26歳という若さで亡くなった。辛いこともたくさんあったが、そこに留まってはいられなかった。ガンは長い間に降り積もったアクのようなもの。神様が厄落しをしてくれたんだと思う。これからは、一緒に戦ってきた妻と、人生の中で落としてしまったものを探そうと思っている。

その時家族は

ご夫婦は戦時中に結婚。妻の裕子さんは、たった数日一緒にいただけで夫を戦地へ送り出した。また戦後は一坪の土地を買って商売を始めると同時に出産するなど、家事と商売に追われた。加えて子どもを次々に亡くすなど、苦労と悲しみを重ねてきた。だがいつも傍らに夫がいて、励ましあって生きてきたという。この信頼感があるからこそ、夫のガンを知っても動揺せずにすんだと語っている。

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卵巣がん2

卵巣がん 50代女性

病歴

平成9年8月に卵巣ガンと判明。セカンドルック手術※を行う。4カ月後の10年8月から抗ガン剤投与を再開。途中、抗ガン剤ショックで呼吸困難になり、3回目よりタキソールを使用。寛解して1年経過するが、12年に入り再び腫瘍マーカーが上昇。タキソールを投与するが効果がなく、再度ショックを起こした薬を投与。2回目に発作を起こす。この頃からアガリスを飲みはじめる。同時に量を減らしてタキソテールを投与。昨年11月より寛解。

体験レポート
病気になる前の生活を取り戻すために、アガリクスを飲む

まさかこんなに長く闘病するとは

平成9年の6月下旬、おなかがはってきたが、中年太りだと気にもしなかった。母と姉がガンで若くして亡くなっているため、毎月定期検診を欠かさず、年に2回は胃カメラを飲んでいたからだ。しかしおなかはふくれるばかり。医師に相談したら、エコーをとる途中から顔色が変わった。そのまま婦人科にまわされ、検査の結果は卵巣ガンと告知された。悩む間もなく抗ガン剤が投与され、副作用に苦しむ日々が始まった。入院、検査、告知、抗ガン剤投与、手術、抗ガン剤投与と続いて退院したときには、65㎏の体重が43㎏まで落ちていた。歩くこともできないほどに衰弱していたが退院させられた。しかしこのときはまだ「これで治る」という希望があった。
というのは、桜木さんの長女はその前年に悪性リンパ腫になって抗ガン剤投与を受け、この時点で寛解していたからだ。
しかし桜木さんのガンは居すわり続けた。「まさか、こんなに長く闘病するとは思いませんでした」と嘆息する。

ふつうの生活をしたい

手術前の検査では3200もの数値を示した腫瘍マーカー(正常値は100下)は手術後若干下がったが、治癒したという状態ではなかった。再び抗ガン剤投与が始まったが、1クール(1カ月に1週間、6カ月間投与する)の途中で抗ガン剤ショックを起こす。体中に湿疹が出て涙が止まらず、息ができない。あと数分処置が遅れたら呼吸困難で命を落とすところだった。そこで抗ガン剤をそのとき出たばかりのタキソールに変えて投与。体質にあったのか、その後1年小康状態を保った。しかし再び腫瘍マーカーが上がる。タキソールが効かなくなってきたため、ショックを引き起こした抗ガン剤に変更。いちかばちかの賭けだった。1回目はなんとかクリアしたが、2回目にショックを起こす。今度は量を減らしてタキソテールを10カ月間投与し、現在小康状態にある。とはいえ、まだ半年ほどしかたっていない。アガリクスは賭けに出た頃から飲みはじめた。悪性リンパ腫にかかって7年間再発していない娘が勧めてくれた。正直いって、タキソテールが効いているのか、アガリクスが効いているのかわからない。今はただ、「ふつうの生活をしたい」と切に願っている。

その時家族は

平成9年に発病して以来、平成11年と今年の半年間を除く5年近く抗ガン剤を投与し続けている。家事に支障が出るからと、投与期間の1週間だけ入院するが、その間は嘔吐と発熱に苦しむ姿を見せたくないと家族の面会を断っている。しかし、タキソールの強烈な副作用で歩けなくなったときなどは夫が入浴介助をしてくれたり、味覚障害で食事づくりができないときは同居している長女が手伝ってくれるなど、家族のバックアップが心強い。

※セカンドルック手術:
卵巣ガンで腫瘍が大きすぎて手術ができなかったり、腫瘍が内臓にパラパラと散る播腫状態のときに行う方法。抗ガン剤を投与して腫瘍を縮小させたり、あるいは散った腫瘍を固めるなどしてから手術を行い、さらに手術後に取り残しのガン細胞をたたく目的で抗ガン剤を投与する。

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卵巣がん1

卵巣がん 50代女性

病歴 50代女性

平成10年1月頃より不正出血。しばらく様子をみていたが、異常だと確信して3つの病院を受診。卵巣ガンであることを確認。8月末に手術、抗ガン剤投与。11年2月に退院。12年3月に再発。手術の前後に抗ガン剤投与。6カ月の入院生活をおくる。アガリクスは患者どうしの情報交換の中で知った。使うなら本物をと思っていた矢先に『世界ウルルン紀行』を見て、テレビ局に電話して販売元を教えてもらって購入。退院後ずっと飲み続けている。

体験レポート
現状を正確に把握して治すための最善の努力をし、決してあきらめない

「卵巣腫瘍ですか?」

不正出血が始まった。年齢的に更年期症状が出る時期だったため、楽観していた。だがなかなか改善せず、その間に実家の父が胃ガンで逝った。20年ほど前に母親も膀胱ガンを患った。ガン家系であることを頭に入れ、30歳から市の検診を受けていた。直感的に「病院に行ったほうがいい」と思い、3日の間に3つの病院で診てもらった。ひとつの病院の診断だけでは確実ではないと思ったからだ。
医師の言葉の端々から確信した。「卵巣腫瘍ですか?」。左卵巣に8㎝の腫瘍があった。ステージは3期B。約1週間後に手術。卵巣を含む女性器官すべてと周辺リンパ節を摘出、廓清した。そして抗ガン剤投与。あらゆる副作用が出た。嘔吐、吐き気、下痢、髪も抜けた。「爪と髪は一番元気な細胞。また生えてきます。ウイッグを楽しみました」と明るく語る高橋さんだが、手術までに、卵巣ガンに関する情報を集め、わからないことは医師にとことん聞いた。「自分の命に関わること、終末まで知らないと闘えません。そうならないようにするための情報収集をしました」と極めて冷静だ。

病院でもできる限りふだんと同じ生活を

自らの予測どおり2年後に再発した。ガン細胞は網の目をもくぐる勢いだった。今度は2㎜×4㎝。手術前と後に抗ガン剤治療を行った。心がけたのはふだんと同じ生活をすること。ガンは食べずに体力が落ちることが命とりになる。「50㎏台を維持することに努め、少しでも動けるときは洗濯も散歩もしました」。
アガリクスとの出会いは再発して退院した後。情報は患者仲間から入っていたが、使うなら本物をと思っていたとき『世界ウルルン紀行』で紹介された。すぐにテレビ局に電話して購入。現在ガン細胞の増殖はない。

その時家族は

最初の入院・手術のとき長男は大学入試を控え、長女は小学校5年生だった。「幸い夫が家事一般を任せられる人でしたので」と、3人がそれぞれ役割分担をして乗り切った。子どもたちにも年齢に応じた話し方で病気について説明した。近所や子どもを通じて知りあった方々にも隠さなかった。周囲の協力を得ることができて幸福だったと語る。だが半年にわたる高橋さんの入院生活を支えたのは、けなげに母の留守を守った子どもたちだった。

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子宮体がん

子宮体がん 30代女性

病歴 

2002年3月不正出血があり受診。ガンの疑いがあるとのことで4月再受診。子宮体ガンと診断。ガン専門の病院で再び受診。まちがいなく体ガンのⅠ期と宣告、子宮全摘とホルモン療法を勧められるが拒否。4月25日よりアガリクスを朝夕飲みはじめる。一週間後の5月2日に生検を行い、ガン細胞が見つからないとの結果が出た。現在はホルモン療法のための薬を飲んでるが、必要ないのではないかと思っている。

体験レポート 絶対子宮を失いたくないとの一念がガン細胞を消失させた

子宮摘出以外に方法はないの!?

1月ほど前から、腰から左足にかけていきなり冷水をかけられるような痛みがあった。しかし美容師という職業柄、足腰の冷えや痛みは日常茶飯事。それほど気にしていなかったが、生理でもないのに出血があったため、婦人科を受診した。3月初旬、4月初旬と検査を繰り返し、さらにガン専門病院で検査をした結果、子宮体ガンのⅠ期と宣告された。頭が真っ白になったが、信じられない思いが強く、実感がない。意外に落ちついて聞いたという。ただ、医師の言った「体ガンは初期でも子宮を摘出しないといけません」という言葉が、頭の中でグルグル回りつづけた。
本屋に行って専門書を見た。何冊も見た。どの本も医師の言ったことと同じことが書いてあった。これから結婚するかどうかわからない、子供を産むかどうかわからない、だけど子宮を失いたくない。他の女性と違う体になりたくない。子宮を失うぐらいなら死んだほうがましだと思った。他に方法はないの?と叫びだしたくなった。ふと目に入ってきた本があった。”アガリクス”という文字が目に入ってきた。

「どう説明したらいいのか…ガンがないんや」

詳細な検査を行っていた最中の4月25日、本屋でそれについて書かれた本を見つけ、さらにテレビのコマーシャルで見たアガリクスを飲み始めた。そして、1週間後に生検を行い、結果が9日に出た。医師は困っていた。「うーん、どう説明したらいいのやろ」、「悪くなっているんですか?」。「いや、ガンがないんや」。専門学校を卒業してずっと皆勤賞もので働いてきた。美容師は心身ともに激職だ。8時間以上の立ち仕事に加え、気配りは当たり前だ。いつしかストレスが積もり積もってガンを招いたのかもしれない。これからは少しゆっくり暮らそうと思う。それにしてもあのとき、子宮摘出手術を受け入れなくてよかった。アガリクスのCMが目に止まってよかった。偶然とはいえ運命を感じている。

その時家族

美和子さん自身ガンであることが信じられず、なかなか家族にうちあけられなかった。専門病院での結果を聞くときに、ようやく母親を同行。「お嬢iさんはガンですよ」といわれた母は、「今までも大抵のことは切り抜けてきた。今度も絶対切り抜けられる」と信じていたそうだ。娘が子宮をとるぐらいなら死んだほうがいいと手術を拒んだときも、周囲の「子宮より命」との声より、「そこまで思うなら、それが正しいのだろう」と思ったという。

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前立腺がん2

前立腺がん 80代男性

病歴

23年前の1979年に脳梗塞。軽い右マヒが残り、右目をコントロールできない。83年に前
立腺肥大の治療。93年から94年にかけて胃と大腸のポリ一プを切除。95年と96年の二度にわたって早期胃ガンを内視鏡で切除。97年に再び握り拳大の胃ガンが発見され、胃の全摘手術。2001年6月前立腺ガンⅢ期の宣告を受けて手術。8月よりアガリクスを飲みはじめる。3カ月後に腫瘍マーカーがどんどん下がりはじめ、現在もいい状態にある。

体験レポート
何回ガンになっても「運がいい」と思う明るさがガンを克服

明るい性格がガンを吹き飛ばす

他の病気はさておき、ガンに関しては、検診を含めて先手先手をうってきた。というのは、次男さんの父は若くしてガン死、父親の弟もガン死しているからだ。不安は的中した。74歳の時の胃と大腸のポリープを皮切りに、早期胃ガンを2回切除した後に再び胃ガンを発症、全摘。さらに末期の前立腺ガンの手術と、ガンとの戦いに明け暮れた。
だが次男さんは「早く見つかって、ぼくは運がいいよ」という。「どこも痛くないから、ガンって気になれないんだよ」と笑う次男さんだが、妻のけさじさんは違った。ケセラセラ(なるようになれ)の次男さんののんびりした顔を見ていると、重症ではないように思わせれるが、4回目の前立腺ガンがみつかったときは「大変なことになった」と青
ざめた。病院にまかせっきりにはできないと、本をあさり、アガリクスを見つけて飲ませた。そのかいあって、手術後もなかなか下がらなかった腫瘍マーカーの数値がぐんぐん下がった。
「私たちこれからよ」
それだけではない。動脈硬化や糖尿病がある次男さんの食事づくりには気を遣
う。旬の、できるだけ減農薬の有機野菜を選ぶ。肉や卵、魚も上手に取り入れる。「子どもなんか、あってもなくても同じこと。私たち、これからよ」という、けさじさんの気持ちの現れだ。次男さんはなぜあれほど明るいのか。太平洋戦争の際、ベトナム戦線で生死の境目を見た人の強さから出るものなのか。けさじさんはなぜあれほど明るいのか。役人として妥協を許さず、それがために敵をつくることも辞さずに生き抜いた夫を支えてきた強さから出てくるのだろうか。明るさと強さは同義語なのかもしれない。

その時家族は

4歳下の妻けさじさんと二人暮らし。若い頃は大酒のみで、ずいぶんけさじさんを心配させた。次男さんは、退職後次から次に大病を患ってきたが、けさじさんは決して悲しげな顔を見せなかった。元気で明るい笑顔の下にある、けさじさんの様々な思いを最近ようやくわかってきた次男さんだ。

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