C型肝炎1

C型肝炎 50代女性

病歴 

2000年9月健康診断でC型肝炎と診断。強力ネオミノファーゲンCで治療を開始したが、病状悪化。大病院で生検を行い、進行性でウイルスの量も多く、肝臓そのものがすでに肝硬変一歩手前と診断。2001年1月に入院してインターフェロンを投与。退院後も投与したが改善せず、3月よりアガリクスを飲みはじめた。4カ月後の7月にウイルスが消失。現在、ウイルスが消失して1年後の今年の7月の検査待ちの状態だが、すこぶる元気。

体験レポート 家族が病気をして初めて健康のありがたさを知った

青天の露震のC型肝炎

「未だに、いつ、どこで感染したのかわからないんです」。大人も泣き叫ぶという肝炎特有の辛い症状に苦しみ、ようやく健康を取り戻した伊山久子さんは、笑顔でいう。
久子さんは、肝炎が発覚した2000年の9月まで、一家の太陽だった。つまり家事や育児など主婦の仕事をパーフェクトにこなしながら、グチひとついわずに元気で明るく過ごしてきたのだ。発症当時は、何の症状もなく、C型肝炎と診断されてもあっけにとられたほどだった。
しかし、C型肝炎の特効薬である強力ネオミノファーゲンCをうちはじめてから、症状が現れた。表現できないだるさにいても立ってもいられない。食欲はまっくたない。症状はおさまらず、薬の量はどんどん増えた。
さらに、肝炎特有の症状である落ち込みもやってきた。このままでいいのかと考えた夫の幸信さんは大きな病院での検査を勧めた。その結果はもっと悪かった。「ウイルスの量が多くて、しかも進行中なので、ウイルスが消えることはありません。肝臓の繊維化も進んでおり、肝硬変一歩手前です」。

誕生日のプレゼントはアガリクス

幸信さんには、末期ガンで余命幾許もないといわれたように聞こえた。同僚が母子感染によるB型肝炎のキャリアで、「ぼくは長くはないよ」と言っていた言葉そのままに、苦しみながら亡くなるのを目のあたりにしていたのだ。
久子さん自身「長くは生きられない」と覚悟した。
しかし、症状の苦しさが先にたち、死を深く考えることはなかった。
2001年が明け、正月早々入院し、インターフェロンを打ちはじめた。2週間毎日うち、退院後の半年は通院して1日おきにうつ。インターフェロンは副作用が出る。何か手をうたないと、衰弱した体で副作用が出たら大変なことになる。幸信さんは新聞で見たアガリクスを、娘のインターネットで購入した。「信じきれなかったのですが、何かしてやりたかった」という。3月1日の久子さんの誕生日のプレゼントはアガリクスだつた。
そして4カ月後、副作用も出ず、じょじょに食欲を取り戻した久子さんの肝臓にはウイルスが発見されなかった。
あと半月で1年目をむかえる。ウイルスは、1年たって再び見つかることもある。今は検査待ちの日々だが、「食事が進んで、軽い高脂血症になってしまいました」と久子さんは笑う。

一番いい時期に問にあってくれた

闘病する主婦の代わりを、そして通院の手助けをするため、娘さんは仕事をやめた。幸信さんは6月で定年退職した。二人とも、それまで家事に関わったことはなかったが、少しも苦ではなかった。しかし、「朝起きて顔を見るのが辛かった」という。家の中に病人がいるだけで暗くなるのに、まして初めは回復の見込みはないと思われていたからだ。
久子さんも幸信さんも、子どもが独立し、幸信さんが職業人としてまっとうし、まだ両親に手がかからない、夫婦にとって最もよい時期を待ち望んでいた。やっと、その時期がきた矢先に久子さんの病気が発覚した。「これまでの苦労に何ひとつ報いてやれないかもしれない」という幸信さんの1年間の不安な思いは、今「一番いい時期に間に合ってくれた」に変わった。健康のありがたさを心底感じている。

その時家族は

夫の幸信さん、娘さんの3人暮らし。ご夫婦のご両親も近くに健在。
仕事をやめて家事を引き受けていた娘さんも、久子さんが回復して再就職し、再び家事は久子さんの手に戻った。
手伝っていた幸信さんも、久子さんが元気になると同時に家事放棄した。「これが家族の一番健康な形です」とは幸信さんの喜びの言葉だ。

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