乳がん3

乳がん 60代女性

病歴

夫の一雄さんが陰茎がんであることが発覚する少し前から、脇の下のしこりに気づいていた。しかしその後一雄さんが入退院を繰り返し、孝子さんは自らの体を省みる余裕がなくなってしまった。一雄さんの納骨から1ヵ月後にリンパ節を切除。このときの組織診で乳がん、骨転移があると確定。手術できず抗がん剤投与。副作用で苦しむ。昨年8月よりアガリクスを飲みはじめ、1年後がんの影はほとんど消えた。

体験レポート
夫の遺言を胸に、いつまでも元気で

早くから乳がんを疑っていたが……

大八木孝子さんの住まいは庭はもちろん、玄関にも居間にも花があふれている。夫の一雄さんの遺影が飾られた仏壇には花とぬいぐるみが所狭しと並んでいる。「花と人形は主人の楽しみでしたから」と、孝子さんは語る。遅い結婚だった。一雄さんは再婚で20歳年上。テレビ局のフリーの筆耕から書家に転身した芸術家肌でハンサム、優しい性格で、孝子さんを大切にしてくれた。幸福だった。一雄さんが倒れてからは、一家の生活は孝子さんの肩にのしかかってきた。介護と仕事で疲れ果てていたある日、右の脇の下にしこりを発見。それ以前にも体調をくずして血圧が上がり、激やせしたことがある。「この頃からがんが始まっていたと思います」。しかし、書家の夫が字を書くリハビリで苦しんでおり、その上前妻を大腸がんで亡くし.ていた。言える状況ではない。

夫の遺言を胸に強く生きていきたい

そんな中で、一雄さんが陰茎がんの末期とわかったのだ。すでに、しこりをとおりこして大きくふくれあがっていた脇の下のリンパ節を切除したのは、一雄さんの納骨から1カ月後のことだった。このとき、細胞診で乳がんであることが確定した。しかも腫瘍は手術が難しい場所にあり、腰の骨にも転移していたため、抗がん剤が投与された。髪の毛が抜け食欲が減退、あげくに慢性胃炎を患ってしまう。体重が12㎏減った。このままでは、自分の死後も孝子さんが雄々しく生きていけるよう「たくましく、慎重に、自信をもって生きなさい」と遺言した夫に申し訳ない。そんなとき、テレビでアガリクスを見つけて飲みはじめた。キノコの匂いが苦手なので、オブラートに包んで1日3回飲み続けました。約1年たった今、ぐっすり眠り、よく食べる、健康な生活を取り戻した。医師も一体(腫瘍は)どこにいったんでしょうね」と驚いている。
一雄さんが亡くなる直前に書いた相合い傘を見るたびに、一人ではないことを確認し、元気で生きていこうと誓う孝子さんだ。

その時家族は

夫は結婚から8年目に脳梗塞で倒れて右半身麻痺に。さらに15年後には陰茎がん末期と診断され、4ヵ月後に逝ってしまった。孝子さんは不調を隠し通して夫に尽くした。治療を受けたのは夫の死から2ヵ月後だ。それも納骨を待ってのころだった。不調を隠して笑顔で夫を看取った妻と、妻のために不自由な手で6通の「遺す言葉」を書いた夫。長くはない結婚生活だったが、心残りはない。

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